『めぞん一刻』に同性愛キャラがいない理由は?昭和に最適化されたラブストーリーの構造

めぞん一刻
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漫画『めぞん一刻』を読み返していて気づいたことがあります。それは、この作品にLGBTQキャラが一人も出てこないことです。
作者の高橋留美子さんは『うる星やつら』で男装女子の藤波竜之介、『らんま1/2』で性転換の早乙女乱馬を自然に描いていたのに、めぞん一刻にはいません。
これは偶然なのでしょうか? それとも必然だったのでしょうか?
昭和という時代・社会の常識的思考から、その理由を解いてみたいと思います。

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別れの理由 ― すれ違いの核心

五代くんと響子さんが結ばれた、惣一郎さんを思わせる桜も描かれている、象徴的な絵です。
『めぞん一刻』15巻裏表紙より
作品名めぞん一刻
作者高橋留美子
単行本1巻と最終巻発行日1982年5月1日~1987年7月1日
ジャンル青年、恋愛、ラブコメ
発行社小学館
レーベルビッグコミックス
巻数全15巻(単行本)

『めぞん一刻』は高橋留美子さんが、1980年代、昭和の時代後期から末期にかけて描かれた、ラブコメの金字塔的作品です。

留美子先生は、ジェンダー(性差)の境界線を軽やかに飛び越えるのが天才的に上手い作家です。
1980年代から90年代にかけて、高橋さんは「男らしさ・女らしさ」という固定観念をコメディの核に据え、大ヒット作を生み出してきました。

「性別越境」を面白さの源泉に変えた天才

例えば、『うる星やつら』の藤波竜之介。
彼女は父親に浜茶屋の「跡取り息子」として育てられたため、一人称は「俺」、常に学ランを着用し、中身は誰よりも熱く硬派に振る舞います。
しかし、男と間違われたり、(主に父から)男とからかわれたり「おれは女だ~!」と叫んで相手を殴り飛ばすの「お約束」となっていることから、性として「女」であることは自認しています。
そんな、男らしい性格や言動と、美少女の顔立ちとグラマラスな体型という激しすぎるギャップが、物語に面白さと同時に切なさを与えていました。

他にも『らんま1/2』は、主人公・早乙女乱馬の「水をかぶると女になり、湯をかぶると男に戻る」という特異体質そのものが作品のテーマになっています。
乱馬の許婚であるあかねは、乱馬を「男」として好きだけど、女の姿の乱馬にも複雑な感情を抱いていました。
男のときの「ガサツさ」と女のときの「しなやかさ」。その入れ替わりが生むドタバタ劇は、まさにジェンダーの揺らぎをエンターテインメントへと昇華させた代表例と言えるでしょう。

昭和の時代の「性別越境」と高橋留美子

私が子どもだった昭和の時代、性別を越境するキャラクターは、テレビでも漫画(少年誌・青年誌)でも「異物」や「からかいの対象(ネタ)」として扱われるのが主流だったように思います。
私は多くの作品に触れたわけではないので確かなことは言えませんが、「本気の恋愛対象」として描かれることは稀だったでしょう。

しかし、留美子先生は違いました。彼女の描く竜之介や乱馬は、周囲に揶揄されるだけの存在ではなく、その複雑なアイデンティティこそが「キャラクター最大の魅力」として描かれていたのです。

なぜ『めぞん一刻』には存在しないのか

そんな「性の揺らぎ」を扱うことにかけて突出した力のある留美子先生が、うる星やつらと同時期に連載していた『めぞん一刻』においては、この要素を一切封印しています。

一刻館には、覗き魔の四谷さん、宴会好きの一の瀬さん、セクシーな姿の朱美さんなど、強い個性の「変わり者」ばかりです。ところが彼らは皆、「異性愛のルール」の中に生きています。

なぜ留美子先生は、あれほど得意だったジェンダーのゆらぎを封じ、極めてストレートな(それでいて歪な)男女の恋物語を描いたのでしょうか。
そこには、大人のリアルな恋愛ドラマとして『めぞん一刻』を成立させるための、ある種の「物語的な必然」があったように思えてなりません。

めぞん一刻の物語構造 ― 異性愛の純粋ファンタジー

響子と五代、そして二人の娘・春香が揃った、絵に書いたような昭和のゴールです。
単行本15巻1ページ目より

『めぞん一刻』がなぜ異性愛オンリーの世界観を貫いたのか。
その理由は、この物語の核が「異性愛の純粋で濃密なラブストーリー」として徹底的に最適化されている、一種のファンタジーだったからではないでしょうか。

響子の「空白」を埋めるためのピース

物語の主軸は、夫を亡くした音無響子が抱える「惣一郎という大きな空白」を、五代裕作という一人の男がどう埋めていくか、という点にあります。

五代くんは、響子さんの心を開き放ち、彼女の新たなパートナー(夫)になる必要がありました。
この「死別の哀しみを新しい愛で、その過去ごと受け入れる」というプロセスには、強い熱量が求められると容易に想像されます。人の命は重いから。
ここに同性愛要素を入れてしまうと、(異性同士の)一対一の濃密なぶつかり合いが薄れてしまい、物語の純度が落ちてしまいます。

響子は惣一郎の影を抱えながら、五代くんの不器用さに少しずつ心を開き、最終的に「結婚→春香の誕生」という形で実を結ぶ。
暴言やビンタ、鈍感力は親密度を上げるための装置として機能し、好きなら結婚して家族になるという昭和の理想像を体現しています。

留美子先生は、戦略的に恋愛の軸を異性愛一本に絞ることで、この二人のドラマの純度を保ったのだと私は考えます。

一刻館という「閉じた共同体」の機能

五代くんが住人たちに虐げられながらも立ち上がっていく。こうしたドタバタ劇もまた、異性愛のルールが基盤にあるからこそ成立していました。

住人たちが変わり者であることも、恋愛の軸はすべて異性愛が前提になっているからこそ、五代くんの響子さんへの頑張りが笑いに変換されました。
三鷹さんやこずえちゃんとの三角関係もありますから、もしここに同性愛の要素を加えてしまうと、物語が複雑化しすぎて純粋なラブファンタジーとして成立しにくくなります。

めぞん一刻の、あの心地よいドタバタ劇を維持するためには、住人全員が同じ性的指向と価値観を共有しているという「現実の昭和をデフォルメしたファンタジー」が必要不可欠だったのです。

「新しい家族」という完璧な終止符

物語は、最終的に二人が結婚し、新しい命を授かることで完結します。

昭和におけるハッピーエンドの完成形とは、父・母・子という伝統的な家族の作ることだったのでしょう。その理想化されたルートに、当時の私も何の違和感もなく受け入れていましたし、彼らに癒やされたり元気づけられたりしてきました。
このルートがあまりに強固だったため、そこから外れる可能性を持つキャラクター(例えば、結婚という枠組みそのものを疑う存在)は、このファンタジーが現実に近づきすぎて、ファンタジーとして純粋さが失われる恐れがあった。
留美子さんはそれを避け、異性愛オンリーの世界観で物語を構築したのだと私は思います。

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時代背景と高橋留美子の選択

先ほど触れたように、1980年代の少年誌・青年誌において、同性愛はまだネタや特殊設定、物語のアクセントとして扱われるのが主流だった気がします。

例えば昭和から平成にかけての週刊少年ジャンプに限定しても、『ハイスクール奇面組』の物星大や『ドラゴンボール』のブルー将軍、『ボンボン坂高校演劇部』の徳大寺ヒロミ、『ワンピース』のボン・クレーあたりが思いつきますが、いずれもそういう傾向にはあったと思います。
現代にもそういう傾向がないことはないのでしょうけど、昭和の方がネタやアクセントとしての意味合いはより強かった印象です。
しかも登場するのは男性の同性愛者だけで、女性に至ってはほとんど出てこない記憶です。

当時の社会全体が「異性愛が当たり前」という強い前提の上に成り立っており、物語もまたそのレールの上を走るのが「普通」だったということは、ある程度言えるかなと感じています。

一方で、少女漫画では昭和の末期や平成の初期に、成田美名子さんの『CIPHER(サイファ)』や、秋里和国さんの『THE B.B.B.(ばっくれ バークレー ボーイ)』などは、異性愛と同性愛が交錯する複雑な三角関係を扱っています。その点、少女漫画の方が先駆的だったと言えるでしょう。

「リアルな恋愛」という建前の中のファンタジー

留美子先さんは『うる星やつら』や『らんま1/2』において、SFや格闘、あるいは「呪い」といったフィルターを通すことで、ジェンダーの境界線を自在に、そして多角的に描き出しました。

しかし、一方で『めぞん一刻』は、当時の読者にとって大人のリアルな恋愛ドラマという立ち位置でした。
現実の延長線上にある物語として見せる必要があったからこそ、あえて当時の世間の常識に従い、それを煮詰めることで響子さんの未亡人としての切実さと、五代くんの不器用な成長を軸に、異性愛の純粋さと濃密さ」ファンタジー的に高めたのではないでしょうか。

時代と共に広がった「リアルの幅」

興味深いのは、後年の作品である『境界のRINNE』などでは、沫悟のような同性(りんね)への想いを隠さないキャラクターが、ごく自然に登場する点です。

これは、留美子先生ご自身の感性がアップデートされ続けている証明になっていると同時に、「漫画という媒体が描ける『リアル』の幅」が、この数十年の間に広がったことを意味しているのでしょう。
かつてはファンタジーの力を借りなければ描けなかった性の多様性が、今や日常劇の風景として当たり前に存在できるようになった、ということかもしれません。

昭和に最適化された美学

『めぞん一刻』が描かれた1980年代という時代の空気感において、本作のような純粋な異性愛のファンタジーは、読者の求めていたものだったのでしょう。
私自身、何の違和感もなく、彼らの恋模様に癒やされ、元気づけられてきました。

留美子先生はそのファンタジーを「純粋に守る」ことで、めぞん一刻を昭和に最適化されたラブストーリーとして完成させ、時代を超えて愛される不朽の名作になったのだと私は思います。

まとめ

まとめます。

近頃、当サイトでは映画化やアニメ化されている話題作『違国日記』を扱っています。
今回ご紹介した『めぞん一刻』と『違国日記』。この二つの作品を並べてみると、私たちが無意識に抱いている幸せの形が、この数十年の間にいかに変化したかがわかるようです。

『めぞん一刻』には、夫を亡くした響子さんの心の穴を、五代くんを始めとした一刻館という騒がしくも温かい共同体が、孤独を包み込む。そこには、結婚という明確なゴールがあり、家族という一つの完成形がありました。
登場人物の全員が同じ方向を向き、一つの解にたどり着く。この世界観は、好きなら異性と出会い、傷つけ合っても恋で埋め、結婚して家族になるという、昭和の理想化されたラブストーリーそのものです。

一方で、『違国日記』が描くのはめぞん一刻とは異なるリアリズムが描かれています。
それぞれがバラバラの方向を向きながら、それぞれ「直線」を維持したまま、それでも隣にいることを探す物語です。
槙生は結婚を考えず、笠町とは名前のつかない関係を続け、えみりは同性の恋人・しょうこと付き合いながらカミングアウトの葛藤を抱える。朝は父母の死と父の空白を抱えたまま自分を肯定する道を探す。
「あなたの痛みは私にはわからない。でも、あなたがそこにいることは尊重する」
そんな風に人と人との間に線を引いたまま、ただ隣に居続ける。一見するとドライで、昭和世代には少し寂しく映るこの継続の形こそが、自分を失わずに他者を愛するための、令和の誠実さなのだと感じます。

昭和の物語は同じ方向を向くことで救われるファンタジーでしたが、令和の物語は「どんな形の直線で歩んでもいいんだよ」と、他の選択肢があることを示しつつ、どの選択肢も肯定してくれています。
えみりのカミングアウトとしょうこの存在は、まさにそのリアリズムの象徴です。えみりのカミングアウトを通じて、私たちが向き合うべき「新しい隣人との距離感」について考えていきたいと思います。

本文に書いたことは私の個人的な意見や解釈でしかありません。決して情報を鵜呑みになさらず、参考程度に抑えて受け取ってくださると幸いです。

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今回の考察の場面を原作で読んでみたいあなたへ

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ということで、今回はここまでになります。
最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます。

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