『めぞん一刻』の一号室の住人「一の瀬花枝」。彼女はしょっちゅう酒を飲み、騒動を楽しんでいる、ときには騒動を生み出す存在ですが、その暮らしぶりには奇妙な矛盾が隠されています。
一刻館での「貧乏暮らし」をしていながら、彼女は約5年にわたり、決して安くはないであろうテニススクールの月謝を払い続けているのです。団地への住み替えが叶わない家計の中で、なぜ彼女はこの出費を譲らなかったのか。
今回は、一の瀬一家が一刻館を出ず、居続ける理由を、作中の彼女たちの言動から考察します。
ネタバレ要素はありますので、バレても大丈夫な方のみ下方スクロールをお願いいたします。
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『めぞん一刻』一の瀬一家の家計の矛盾
『めぞん一刻』についてです。
| 作品名 | めぞん一刻 |
| 作者 | 高橋留美子 |
| 単行本1巻と最終巻発行日 | 1982年5月1日、1987年7月1日 |
| ジャンル | 青年、恋愛、ラブコメ |
| 発行社 | 小学館 |
| レーベル | ビッグコミックス |
| 巻数 | 全15巻(単行本) |
『めぞん一刻』は高橋留美子さんが、1980年代、昭和の時代後期から末期にかけて描かれた、ラブコメの金字塔的作品です。

本稿では、本作のメイン舞台である「一刻館」の1号室の住人「一の瀬花枝」とその夫(作中名前が提示されなかったので「一の瀬氏」とします)と、二人の一人息子「賢太郎」という一家の家計の不思議から、一の瀬さんがどうして一刻館から引っ越さないのか、その理由について考察していきます。
一の瀬一家が住む一刻館は、昭和末期の基準で見ても「ボロアパート」です。しかし、その生活実態を詳細なエピソードから紐解くと、一般的な「貧乏暮らし」の定義を覆すような暮らしぶりが浮かび上がります。
※以降書きます、巻数とページ数はオリジナル版の単行本に対応したものです。
一の瀬家は「貧乏」である
作中では、一の瀬家が経済的に余裕がないことを示す描写が、息子の賢太郎の口を借りて繰り返し提示されています。
例えば、2巻「PART♥2 行きがけの駄犬」(29ページ)にて、賢太郎は五代くんに「うちってさー、かーちゃんはあんなだし、とーちゃんは休みになるとぐったりしてるし……家族が悪いんだっ」と吐露しています。
学校の長期休暇にどこにも連れて行ってもらえない不満は、3巻「PART♥7 納得しました」(130ページ)でも再燃しており、「春休みなのにどっこも連れてってもらえない」と、季節を問わず一家には家計を行楽費まで回す余裕がないことを裏付けています。
またこんな発言もありました。3巻「PART♥5 家族の焦燥」(86ページ)において、一の瀬さんが「あー情けない。せめて団地に住みたい」と五代くんに漏らしています。
1980年代、高度経済成長期に憧れの的だった団地も、この頃にはすでに憧れからは外れていたのでしょう。「マンションや一戸建て」とは言わないから、せめて団地にでも移りたい。しかし、その「せめて」の願いすら叶わないほど、一の瀬家の家計に余裕がないことが、この一言からうかがえます。
一の瀬さんたちへの第三者からの客観的評価もあります。 8巻「PART♥5 一緒に住もうね」(101ページ)では、新入居者の「二階堂望」が住人たちを「貧乏がしみついたよーなやつら」と断言しています。
彼らの身なりや雰囲気が、一目でそれと判別できるレベルであることを示しています。
家計を圧迫している(?)テニススクール
メインキャラである「五代裕作」と「音無響子」と三角関係を形成していた「三鷹瞬」がコーチを務めていたテニススクールに、一の瀬さんは作中ほぼ全編にわたって通い続けていました。
入会したのは1巻「PART♥10 金網は越えられない !!」201ページ、13巻「PART♥11 どうも」が作中で最後にテニス教室のシーンが描かれています。
本作はリアルの年月とリンクされています。単行本第1巻の発行が1982年5月1日で、13巻の発行が1987年2月1日ですから、57ヶ月です。4年9ヶ月間。
テニス教室を途中で辞め、再加入した描写はありません。よって期間中加入し続けていたと捉えるのが自然ですので、その5年ほどの期間、彼女はずっと教室の月謝を払い続けていたことになります。
単純計算で、12ヶ月*5年=60ヶ月ほどは通っていたとして、月謝が1万円だとすれば、年12万円、5年間で60万円です。貧乏なら重い出費のはずです。
ルールすら知らない
3巻「PART♥9 混乱ダブルス」(175ページ)にて、物語も中盤に差し掛かった頃、コーチである三鷹瞬とのあるやり取りが描かれます。
三鷹「一の瀬さんは ルール マスターしてますよね?」
3巻「PART♥9 混乱ダブルス」175ページより
一の瀬「全然」
三鷹「……… 全然?」
一の瀬「なんにも知らない」
三鷹「あなたはいったい、このテニスクラブでなにをしていたんです?」
一の瀬「あんた あたしが練習してる姿、見たことある?」
三鷹「ない……」
おそらく約5年間月謝を払い続けていながら、ルールすら覚えず、練習もしていない。
この身も蓋もない告白は、彼女にとってテニススクールが「テニスをする場所」ではなかったことを決定づけています。
何のためのテニスへの出費か?
では、彼女は何のために月1万円近い金を投じていたのでしょうか。
同エピソードの166〜167ページでは、響子さんを気晴らしに誘い出すために、一の瀬さんが管理人である響子の代わりに2階の通路掃除まで買って出る描写があります。
彼女にとってテニススクールは、以下の3つの価値を持つ場所だったと推測できます。
- 情報の最前線: 響子と三鷹という「一刻館最大の関心事」を、誰よりも近くで観察し、その動向を住人たちに報告するネタを手に入れる。
- 井戸端会議の舞台: 他の参加者(主婦)たちと噂話を交換し、一刻館の外にある情報を仕入れる社交場(スクールの奥様たちが噂話をする描写は多々見られます)。
- お酒の肴: そこで仕入れた新鮮な噂話を、夜の宴会で酒の肴にして盛り上がる。
酒と噂のために「生活の質」を削る美学
結局のところ、一の瀬一家が一刻館に居続けている(出ない、出られない)のは、単に家計が苦しいからだけではない、と私は考えます。
一の瀬花枝という女性は、「まともな団地暮らし」や「家族旅行」といった世間並みの幸せよりも、今の場所で「酒を飲み、噂話に興じること」を最優先に選んだのです。
たとえボロアパートと指をさされ、息子に嘆かれようとも、彼女は自分の欲望に忠実であり続けました。月謝の1万円は、彼女にとってテニスのレッスン代ではなく、人生を退屈させないための「娯楽維持費」だったと言えるでしょう。
掃除を引き受けてまで「舞台」を整える
一の瀬さんがテニススクールに払い続けたのは、月謝という金銭だけではありませんでした。時には自らの労働を提供してまで、その活動を維持しようとする場面が描かれています。
管理人の仕事を肩代わりする異例の行動
3巻「PART♥9 混乱ダブルス」(166〜167ページ)において、一の瀬さんは朝から一刻館の2階通路を掃除しています。
五代くんが「なんでおばさんが二階の掃除なんかしてんの?」と聞いているのですが、そのとおり、本来それは管理人の仕事です。一の瀬さんは掃除を代行した理由を、次のように説明しています。
管理人さんの手伝いに決まってんだろ 今日はテニスしに行くんだ。
3巻「PART♥9 混乱ダブルス」166~167ページより
(略)
響子さんもさー、管理人やめろだの、音無家から籍抜けだの、親御さんとうまくいってないだろ。で、気晴らしにさ
疲れているであろう響子さんを気遣い、彼女がテニス教室に行けるよう、その妨げとなる「管理業務」を自ら引き受けたのです。
彼女にとっての「テニススクール」の価値
このシーンからわかるのは、一の瀬さんにとってテニスへ行くことが、自身の労力を払ってでも実行したい「優先度の高い予定」であったという事実です。
- 自身の労働(掃除)を提供して、響子をテニスへ連れ出す状況を整えている。
- 3巻で「ルールを知らない」と明かしながらも、13巻までテニススクールに在籍し、ウェア姿で登場し続けている。
ただ酒と噂が好き、というライフスタイル
一の瀬一家が一刻館に居続ける理由は、単なる経済的事情だけではありません。
一の瀬さんは、テニススクールや宴会の場で得られる人間模様や噂話を楽しみ、それを活力にしています。団地への住み替えや貯金といった「生活の向上」に資金を回すよりも、今の場所で「酒と噂」に親しむ生活を維持することを選んでいると言えます。

一の瀬氏「だけどね、今では一緒になってよかったと思ってます
7巻「PART♥2 一の瀬氏の失業」39ページより
このシンプルな動機を、夫である一の瀬氏も否定することなく、一家の日常として共に過ごしています。7巻「PART♥2 一の瀬氏の失業」で一の瀬氏は引用部のように妻との結婚生活に満足しています。
同エピソード40ページで一の瀬さんが「(夫が体を壊したら)明日から遊んで酒が飲めない」と口にした際も、彼はそれを否定するような言葉を発していないどころ、穏やかです。
世間的な基準よりも、自分たちの心地よさや楽しみを優先する。この家族独自のバランスこそが、彼らが一刻館というボロアパートに住み続けた理由と言えるのではないでしょうか。
人間模様に高い関心を示す日常
一の瀬さんは1号室という、管理人室や玄関に近い位置に住んでおり、アパートを訪れる人々や住人同士のやり取りに対し、しばしば姿を現して関わりを持ちます。
来客や会話への関心
彼女は、自分の周囲で起きている人間関係の変化や、他人のプライベートな事情に対して強い関心を示します。
実際に、三鷹さんや「七尾こずえ」、二階堂くんといった外部の人間や新入居者が現れる場面で、物語に新しい人物が登場する際、一の瀬さんはしばしばその場に現れ、挨拶を交わしたり素性を探ったりします。
3巻「PART♥9 混乱ダブルス」ではテニス教室でも、三鷹さんと響子さんの会話をつかめる距離で見守りながら、「自分以外の人間同士のやり取り」が起きている場所に身を置こうとする姿勢が描かれています。
彼女にとって、周囲の人間模様を把握することは、日常における大きな関心事の一つであることがうかがえます。
「情報」を酒の肴にする生活
彼女にとって来客や騒動は、単なる出来事ではなく、その日の宴会を盛り上げるための大切な「材料」となっています。
2巻29ページでは、息子の賢太郎が「かーちゃんはあんなだし……」とこぼす背景には、住人同士で集まっては、その日に起きたことや他人の事情を話題にして酒を飲む彼女の日常があります。
この環境を選択し続けている理由
一の瀬一家が一刻館を居続ける理由は、単なる経済的理由だけではありません。
3巻86ページで「せめて団地に住みたい」という本音を漏らしつつも、実際には約5年にわたってテニススクールの月謝を払い続け、日々の酒代や交流を優先しています。タバコも吸うのでタバコ代も。
もし団地へ移れば、一刻館のような「誰が来て、誰と誰が何を話しているか」が手に取るようにわかる濃密な人間関係は失われてしまいます。
「ただ酒と噂が好きだから」。
一の瀬花枝という人物は、この一貫した動機に従って日常を組み立てています。生活水準の向上よりも、今の場所で得られる「刺激と交流」を優先し、夫もそれを共に継続している。この家族独自の優先順位こそが、彼らを最後まで一刻館につなぎ止めていた実体だと言えるでしょう。
主婦としての役割と「宴会」という名の互助会
一の瀬さんは主婦として一の瀬家を支えていますが、一方で自身の楽しみ(酒・宴会・噂話)が、一時的に家事よりも優先される場面も描かれています。
興味が優先される「特別な日」
彼女は基本的には家事をこなしているようですが、魅力的な「ネタ」や「場」があるときには、そちらに心を奪われることがあります。
例えば9巻「PART♥7 パジャマとネグリジェ」126ページに、「八神いぶき」が五代くんのために料理をした際には、その楽しさに加わりたい想いが強かったのでしょう。家の夕飯をおろそかにし、息子の賢太郎に「うちのメシは!?」と催促されています。
これは結果的には家事の放棄になっていますが、彼女にとっては「今、この場で起きている面白いこと」が、日常のルーティンを中断させるほど魅力的な価値を持っていることを示しています。
家族それぞれの「適応」
この母親の奔放さに対し、家族はそれぞれ異なる立ち位置で向き合っています。
一の瀬氏は、妻のテニス教室の月謝を払い続け、失業時も妻の「遊びたい」という嘆きを否定しないなど、経済的・精神的な「容認者」としての立場を取っています。
賢太郎は、下校時に、自室で酔って寝ている母に呆れ(7巻「PART♥3 一の瀬氏、走る」44ページ)、食事を忘れる母に抗議しますが、子という立場上、ある程度その家庭環境に適応せざるを得ません。彼が「かーちゃんはあんなだし……」(2巻29ページ)と語るのは、肯定というよりは諦観に近いと言えます。
一刻館という環境が成立させる「家族の形」
一の瀬一家が一刻館という舞台に留まり続けた理由は、この「いびつなバランス」が許容される唯一の場所だったからではないでしょうか。
団地や、周囲の目が厳しい住宅地では、一の瀬さんのような振る舞いや、それに対する家族の諦念は、周囲から「問題のある家庭」と見なされるリスクがあります。
しかし、一刻館という閉鎖的で濃密な共同体の中では、それすらも「賑やかな一の瀬さんの個性」として受け入れられています。
「ただ酒と噂が好きだから」。 世間並みの生活向上よりも、自分たちが自分たちらしくいられる今の場所を優先し、夫がそれを資金面でも支え続けています。
この「家族独自の納得感」があるかぎり、彼らにとって一刻館は、どんな団地よりも居心地の良い場所であり続けることでしょう。
賢太郎には可哀想な部分も少なからずありますが。
まとめ
まとめます。
一の瀬花枝は、一見すると「単なる騒がしい主婦」ですが、その行動を貫いているのは極めてシンプルな欲望です。
彼女にとっての最大の娯楽は、一刻館という閉鎖空間で起きる人間模様を誰よりも早く察知し、それを酒の肴として共有することです。
外出先のテニスコートですら、三鷹さんと響子さんの会話をすぐキャッチできるように、情報の中心に身を置こうとする姿勢が徹底されています。
他人の部屋(5号室)で頻繁に宴会をし、住人たちの私生活に踏み込むことが、彼女の生活の彩りとなっています。
彼女は主婦としての生活を基盤にしていますが、魅力的な「面白いこと」が起きると、一時的に家事が後回しになるという人間味が「過ぎる」一面を持っています。
八神の来訪という面白そうなイベントに夢中になり、息子に食事を催促されるなど、その時々の「楽しさ」を優先する性質があります。
この奔放さを、夫はテニスの月謝や酒代といった資金面を含めて容認し、息子の賢太郎は呆れながらもその環境に適応することで、一家のバランスが保たれています。
「せめて団地に住みたい」という本音を漏らしながらも、彼女が最後まで一刻館を出なかったのは、そこが彼女の性質を最も許容してくれる場所だったからでしょう。
団地のような一刻館に比べれば近代的な集合住宅では失われがちな「プライバシーの垣根の低さ」こそが、彼女が「酒と噂」を楽しむための最高の装置でした。
世間的な生活水準の向上よりも、「この場所で、今を楽しむこと」。この優先順位を家族が共有・受容し続けた結果、彼らは物語の幕が下りるまで一刻館の一号室に住み続けることを選びました。
本文に書いたことは私の個人的な意見や解釈でしかありません。決して情報を鵜呑みになさらず、参考程度に抑えて受け取ってくださると幸いです。
ということで、今回はここまでになります。
最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます。
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