今回は、漫画『めぞん一刻』の、昭和の生活感が色濃く残る描写から、現代の日本には失われつつある「季節感」について考えていきます。
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これで夏がきた!
| 作品名 | めぞん一刻 |
| 作者 | 高橋留美子 |
| 単行本1巻と最終巻発行日 | 1982年5月1日、1987年7月1日 |
| ジャンル | 青年、恋愛、ラブコメ |
| 発行社 | 小学館 |
| レーベル | ビッグコミックス |
| 巻数 | 全15巻(単行本) |
本作は高橋留美子さんによる、昭和後期のラブコメ作品です。もはや古典となっているかもしれませんけど、個人的には今なお色褪せない魅力を発しているように思います。
本稿では作中に描かれる「季節感」について触れていきます。
ゆかりさんと夏
今回記事を書こうと思ったきっかけは単行本(オリジナル版)の6巻108ページです。

画像に映る、『うる星やつら』の「錯乱坊」のようなキャラクターは、本作のメインキャラの一人「五代裕作」の祖母「ゆかり」さんです。
画像の回、6巻「PART♥6 梅酒婆あ」では、お祖母ちゃんが新潟(作中、新潟と明言はされていないのですが、彼女の方言は新潟のものと思いますし、高橋留美子さんが新潟出身なので)から東京に出てきて、一刻館にしばらくの間、寝泊まりしていたときの一場面になります。
画像では、ゆかりさんが5号室の窓に「簾」と「風鈴」を窓にかけています。
手には内輪も。
そして下記のようなセリフを言います。
これで夏が来たぞ。
6巻「PART♥6 梅酒婆あ」108ページより
そして、夏の昼間の一刻館で、管理人さんも出かけてしまい、留守を任されたゆかりさんが独り一刻館で暇を持て余し、家から送られてきた梅酒で乱痴気騒ぎを起こすエピソードです。
人はいませんけど犬の惣一郎さんはいますので……という。
この108ページから109ページにかけて、ゆかりさん(と犬)の他に人気のない古い木造建築の、何とも言えない、夏の侘しさがよく表されています。ぜひ6巻を読んで・見ていただきたいです。名カット。
このゆかりさんの言動、これが私たち日本に住まう人間として、とても大切なものに思えて記事にしようとしました。
本稿の核心部分で、彼女の行為は単なる夏の準備では収まらないと思います。
それは「自然の大きな流れとして在る”季節”を、意識的に生活の中に取り入れ、順応しようとする行為」だからです。
これが昭和の日本人にはまだあった、日本人が長い年月大切にしてきた文化的な「けじめ」としての儀式に思えます。
暑い、蒸す、日差しが強い、だから夏が来たと、夏の訪れを単純に不快さで感じ取るのではなく、作法をもって迎え入れる。
この感性こそが大切ではないか、現代の世の中、失われつつあるのでは、と思ったのです。
季節の訪れを「不快さ」として受け入れるのではなく、「作法」をもって「迎え入れる」。この豊かな感性が、現代の生活から急速に失われつつあります。その最大の要因は、私たちが日々享受している「快適性の追求」にあるのではないでしょうか。
外気依存の生活
『めぞん一刻』の舞台である「一刻館」は古い木造建築です。アニメ版では大正時代のものとされていた記憶ですが、原作ではその点の言及はなかったかと思います。
ボロいアパート
一刻館は作中何度か「ボロいアパート」(3巻「PART♥5 家族の焦燥」など)と表現されています。
何度か修理を頼んだり補修したりする場面も描かれています(3巻「PART♥6 引退宣言」など)し、3巻「PART♥5 家族の焦燥」でコインランドリーに通っている様子も見られるように特に2階の住人には洗濯機さえありませんし、お風呂もありませんし、トイレは共同ですから、大正時代と言及がない原作においても一刻館が古くボロいことに間違いありません。
それほどに古い木造建築ですから、当然ながら現代の建築物ならデフォルトで設置されているであろう断熱材など入っていないでしょうし、窓や壁、床といった外気に触れる構造部の気密性が低いことも、容易に想像されます。
つまり一刻館は夏は暑く冬は寒い建物である可能性が極めて高いです。
昭和ということもあり、現代に比べれば冷暖房も高性能ではないでしょう。当時は現代より夏が涼しかったですけど、乗り越えることはそれなりに大変だったはずです。
個人的な体感で言えば、暑いは暑かったですけど、現代のようなクーラーがないと耐えきれないほどではなかったので、夏は乗り越える季節、という感覚もありませんでした。でもそれは私が子どもだったからかもしれません。
特に一刻館では、二階堂くんを除けば貧乏暮らしをしている人たちです。五代くんにかぎらず、生活を「外気の流れ」に強く依存させていたと思われます。
簾と風鈴
6巻108ページのゆかりさんの簾と風鈴をかけたこと、これにはどのような意味があるでしょうか。
- 簾:強い日差しを和らげ、視覚的にも涼しさを生み出し、窓を開け放ち外部からの「目」を防げる上に風を部屋に取り入れられます。
- 風鈴:風を聴覚で感じ、その音から涼を覚え、楽しめます。ガラスの風鈴なら見た目にも楽しめます。舌から下がる紐先に短冊をつければ視覚でも感じられるでしょう。
リストからわかるように、2つの道具はいずれも「窓を開け放つ」ことと「風と共に暮らす」ことが前提となっていることがわかります。
窓を締め切り、室温を一定に保つエアコンに頼った現代の生活では、必要のない道具とも言えるでしょうか。
扇風機さえ
この、ゆかりさんが簾と風鈴をかけた6巻「PART♥6 梅酒婆あ」の、詳しい季節や時期は言及されていないため、はっきりとはわかりません。
簾と風鈴をかけて夏を迎え入れたこと、管理人さんに留守を頼まれた後に「そうめん」らしきものをすすり、その一つ前のコマでは時計が13時03~04分辺りを指しています。
そして、しばらくすると管理人さんが駆けて返ってくるときから「雷雨」がありました。
直後に大学生の五代くんも帰ってきたので、夕方であり夕立でしょう。
一刻館のある「時計坂」は東京と言われていますので、夕立の多い時期は梅雨明けからと想像されます。
ところが、6巻6話やその前後の話を見ても、五代くんの部屋にはクーラーはおろか扇風機さえ描かれていません。
6巻6話でゆかりお祖母ちゃんが内輪を使っているコマがありますが、五代くんが使っているコマは一つも見つけられませんでした。
ボロいアパートとは言え、現代より夏が涼しかったであろう昭和59年(1984年)(※)とは言え、夏の暑さを耐えられるのだろうかと思ってしまいます。
※本作は物語をリアルの年に合わせて描かれています。6巻は1984年に初版が発行されているため、1984年と書いています。

冬は、ストーブ(石油・灯油ストーブと思われる;1巻66ページ)とコタツ(5巻53ページ、7巻208ページ、10巻9ページなど)があるようです。丹前・褞袍を着ることもあります(1巻66ページ、10巻38ページ)。
ちなみにストーブを確認できるのは序盤だけで中盤以降見られません。灯油を買うお金や手間がなかったのかもしれません。
このようにとりわけ一刻館の住人は、暑さと寒さなどの身体的な不快さを通じて季節の到来を感じ取り、それを受け入れることでその移り変わりを感じていたのだとわかります。
立地か?
しかし、響子さんの住んでいる管理人室にもクーラーや扇風機は見られなかったかと思います。コタツや(3巻7ページ、5巻86ページ)、電気ヒーターと思われる暖房器具は見られます(5巻100ページ)。
なので彼らの生活・経済面や時代的な問題だけでなく、一刻館が坂の上にほど近い場所に建っている、その立地条件のために風の通りがよく、夏は扇風機を必要としない可能性もありそうです。
ただ、こちらはこちらで、坂の上で風通しのよい立地であるなら、夏は暑くなくても冬は寒かろうと思います。なので、立地が理由ではない可能性もまた小さくありません。
そして、五代くんの灯油ストーブがそうであったように、響子さんの電気ヒーターも中盤以降確認できませんでした。であるなら経済面の問題でもなさそうではあります。
単に、作者の高橋留美子さんが描くのが面倒だった、または余分なものと判断されて描くことを省かれた可能性も考慮に入れた方がいいかもしれません。
技術と住環境の進化
ここまで書いてきましたように、『めぞん一刻』を読んでいると、彼らの生活から季節の「けじめ」を感じます。
では、現在私たちの生活からそれが失われた理由はなぜでしょうか。
技術の進化
理由の一つは「技術」の進化の可能性です。
エアコンが普及したことによって、私たちは年中、一定の室温で暮らせるようになりました。
この「快適性の追求」が、私たちから季節感を奪った張本人かもしれません。
6巻6話でゆかりお祖母ちゃんがしたように、暑さを感じれば、あるいはその気配があれば簾や風鈴を出すこと、寒さを感じれば・寒くなる気配があればコタツを出す、という「能動的」に季節を迎え入れようとする行動が失われつつあります。
また、「季節感」も失われつつあると言えそうです。殊、屋内生活における暑さ・寒さという物理的な、あるいは感覚的な不快さも失われつつあります。
外気をシャットアウトして家の中だけで生活が完結してしまう社会環境が、季節感を奪ってしまったように、私には感じられます。
住宅の構造・住環境の変化
住環境の進化・変化も、季節の「けじめ」を奪った可能性はあるでしょう。
一刻館は、木造アパートでありながら、「庭」と、管理人室には「縁側」が備わっています。
完全に外部をシャットアウトしない、「半公共」とでも言いましょうか、街や社会と半ばつながっている空間になっていて、それが季節を感じやすく、管理人を含め住人同士の交流のしやすさにもつながっているようです。
昔の家は生け垣であることも多かったです。生け垣の自宅の庭と道路や隣家との境界が曖昧な様子も半公共性でしょう。
一方で、現代のマンションは、オートロックが設置されていることも多く、部屋は機密性が高い、外部との接触を遮断するように設計されています。防犯の意味合いも強いはず。
最近、私の生活範囲内にある比較的新しいマンションは、庭がないことはもちろんのこと、ベランダさえ小さく狭そうなところばかりに見えます。
ベランダが狭いということは、簾や風鈴を設置するような、季節の「けじめ」を行うための空間がより失われつつあることを示しているでしょう。騒音問題として近所迷惑にもなりやすそうです。
結果、人々は余計に自室から出なくなり、生活から季節が切り離され、人々の交流が切り離されてしまったかのように、私には思えます。
実は私自身がまさにそれで、隣りに住んでいる人の名前も、どのような人間かも、どのような職業かも、出身も、家族構成もよく知りません。挨拶はしますけど、ろくに会話をしたことがないです。
私の感覚がすべてとは思っていません。しかし私と似た境遇の方は今の世の中、少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
まとめ
まとめます。
『めぞん一刻』の6巻6話で見せた五代の祖母「ゆかり」の「簾」と「風鈴」を窓にかける行為は、物質的な豊かさより、自然と共に生きてきた日本人の心の豊かさを映している。
エアコンや建築の進化によって、我々は快適さを手に入れた(言い換えれば、夏の蒸し暑さや冬の寒さといった不快さを手放すことに成功した)が、同時に季節を迎えることや季節にけじめをつけることを失ってしまったかもしれない。
『めぞん一刻』は、今、我々が失ったものがまだ存在しているように読めるし、今一度我々の生活の是非について考えるいいきっかけになり得る作品である。
というのが、私なりの解釈と感想でした。
次回は、季節の「けじめ」をつけることを失ったことで、できた穴を埋めたのは何か、というテーマで深掘りしていく予定です。
本文に書いたことは私の個人的な意見や解釈でしかありません。決して情報を鵜呑みになさらず、参考程度に抑えて受け取ってくださると幸いです。
ということで、今回はここまでになります。
最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます。
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