昭和の名作『めぞん一刻』と、令和の人気作『スキップとローファー』、両作品に描かれる「お色気な描写」の扱いの決定的な違いから、時代と表現の変化を考察していきましょう。
かつて私が子どもだった頃、少年漫画にも普通に「お色気」表現がありました。しかし、昨今そういう表現は少なくなっているように思います。作品にもよるかもしれませんけど。
その現代の漫画における性的な表現が、昭和からどのように変化したのか、その健全さの持つ意味は何だろうか、という点を考えていきます。
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めぞん一刻とスキローを選ぶ理由
| 作品名 | めぞん一刻 |
| 作者 | 高橋留美子 |
| 単行本1巻と最終巻発行日 | 1982年5月1日、1987年7月1日 |
| ジャンル | 青年、恋愛、ラブコメ |
| 発行社 | 小学館 |
| レーベル | ビッグコミックス |
| 巻数 | 全15巻(単行本) |
高橋留美子さんによるラブコメの金字塔と私が思っている『めぞん一刻』。
浪人生「五代裕作」が住む下宿屋「一刻館」に、新たな管理人「音無響子」がやって来て、出会い、二人の人生が変わっていく様子がコミカルに、ときにはシリアスに描かれています。
昭和の後半から終盤までの時代や文化、生活を映している漫画作品でもあるでしょう。
| 作品名 | スキップとローファー |
| 作者 | 高松美咲 |
| 単行本1巻発行日 | 2019年01月23日 |
| ジャンル | 青年、学園、恋愛 |
| 発行社 | 講談社 |
| レーベル | アフタヌーンKC |
| 巻数 | 既刊12巻 |
高松美咲さんが描いている人気作『スキップとローファー』。
「岩倉美津未」(以降「みつみ」と表記)が石川県から上京して進学校に入学するその日に、迷子になってしまい、偶然に出会った同じ学校の1年「志摩聡介」が声をかけたことから関係がスタートします。
二人は同じクラスになり、志摩くんの働きかけで友だちにもなり、彼が人気者であることもありみつみも注目を集めるようになり、友だちも増えていく中で、勉学や生徒会、人間関係など難しさを感じつつも成長し、周りも彼女の純粋さに感化されていく物語です。
一見すると比較するほど似ている物語ではなく思えるかもしれません。
しかし、女性が青年雑誌に描いている恋愛もの、という括りはできそうで、案外共通するところがある2作品なのではないかな、と個人的に思っていますので、比較考察の対象にさせていただいています。
これまでもいくつか2作品の考察をしていますので、もしよろしければ他の記事も読んでみてください。それぞれの深堀り記事も書いています。
めぞん:1980年代の日常に溶け込むお色気
『めぞん一刻』には良くも悪くも1980年代という「時代の空気」を色濃く反映しています。
現代の若者から見ればこんな表現していいのかと驚くような描写も、もしかしたらあるかもしれません。
当時としては漫画に色気はままあり、それは本作においても同様で、むしろ「生活感」を表す日常の一場面として機能していた、と言えるでしょうか。
事例
具体的な場面を挙げてみましょう。
わかりやすいのが、一刻館の6号室に住む「六本木朱美」です。
1話が始まって2ページ目には、既に朱美さんがベビードール(ブラジャーはつけていない)にパンツの出で立ちで登場します。
このベビードール+パンツ姿は彼女の部屋着で、これが一刻館でのデフォルトです。
その姿のまま五代くんの部屋に入り浸っていますし、万年床の布団に潜り込んで添い寝もします。
五代くんと同様に、当時子どもだった私にとって最初はセンセーショナルでしたけど、あまりに日常に溶け込んでいるものですから、次第に何とも思わなくなっていきます。
いや、五代くんはよく我慢できるなとは思います。10代から20代の女性に強く興味を持っている年頃の男の子の眼の前に、ほぼ全裸の女性がいつもいるのですから。

管理人(響子)さんもそうです。
1巻「PART♥2 惣一郎さんっ!!」では、雨漏りをするからと屋根の修繕を頼まれた響子さんが、修繕をした後屋根に寝転んでいるうちに眠ってしまいます。
心配した五代くんが屋根にのぼって見に行くと、雨が降りはじめます。
雨に気づいた響子さんは屋根の上にいることをすっかり忘れていて、干しっぱなしの洗濯物を取り込もうと走り出します。
慌てた五代くんが彼女を後ろから抱きしめ、ギリギリのところで落ちずに済み、ホッとしたところ、五代くんが抱きしめている体勢に乗じて彼女の「胸」を後ろから触るのですね。
当然ながら彼女からビンタを食らう訳ですが、物語の中盤終盤でも考えられない、セクハラ行為がありました。
1巻「PART♥5 春遠からじ!?」では、1号室の住人「一の瀬花枝」が2回、管理人さんのお尻を触っていますし、同「PART♥8 惣一郎の影」では五代くんの妄想内ですが胸が露わになっていますし、「PART♥9 アルコール・ラブコール」では五代くんが響子さんを抱いて布団になだれ込む描写がありますし、「PART♥10 金網は越えられない!!」ではテニスを始めた管理人さんのアンダースコート、というより下着そのものに見えますが、お尻ではなく前部が露骨に描かれています。
1巻だけでも、これだけお色気要素が多く描かれています。
序盤だからインパクトをより重視したのでしょう、作者と編集が意図して、そういう場面を多く描くことで、読者の気を引こうとしている節を強く感じさせます。
序盤だけでなく中盤でも、管理人さんは身体にフィットした服をよく着させられていますし、水着になることも、足を怪我したときも胸が露わになったことも、レオタードになったことがありました。
旅行に行けば、当たり前のように入浴シーンが描かれます。
物語がシリアスに舵を切る終盤になると、次第にそういう露骨な表現が少なくなっていった印象です。
14巻「PART♥11 好きなのに…」と15巻「PART♥2 契り」で、五代くんと結ばれるときにも裸が描かれていますが、こちらも序盤や中盤の裸とは意味合いが異なるでしょう。
昭和の文脈として
昭和終盤の時代的なこととして、当時の青年誌では「めぞん一刻」のお色気描写が特殊だったのではなく、これが当たり前の「読者サービス」だったのだと思います。
私は連載当時まだ子どもだったので、80年代の青年誌のことはよくわかりません。
しかし、『週刊少年サンデー』や『週刊少年ジャンプ』など少年誌でもお色気の表現はしばしば目にしました。
サンデーで言えば、あだち充さんは『タッチ』でヒロイン「浅倉南」たちのお色気を定期的に描いていましたし、彼女に新体操をさせた理由もそこにあるかもしれません(お色気が全てではないにせよ)。
同氏の他の作品を見ても、性的な描写をしばしば「読者サービス」として描いていることを確認することができます。
高橋留美子さんの連載作『うる星やつら』にしてもそう。ヒロインの「ラム」は常に水着姿ですし、諸星あたるの女好きエピソードには枚挙に暇がありません。が、彼が露骨なセクハラ行為をしている場面はほとんどない気がします(そうなる前にラムに雷を落とされるので)。
ジャンプでも、有名な『DRAGON BALL』でのブルマの胸が露わになるシーンがありますね。
彼女の眼の前にいて胸を目の当たりにした亀仙人が興奮のあまり大量に鼻血を出し、透明人間だったかに血を浴びせて、そのシルエットを浮き上がらせたのだったと思います(手元にないので記憶で書いていますが)。
『まじかる☆タルるートくん』や『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』では頻繁に性的なシーンが描かれていた記憶です。
このように昭和に限らず、平成の初期の作品にもお色気は当たり前に描かれている印象を私は持っています。
読者も、それを不謹慎だと怒ることもなく、当たり前に受け入れていました。読者の親たちがどうだったかはわからないものの。
漫画作品的なことで言えば、そうした性的な面を描くことで、物語にリアリティをもたらしている、と捉えることはできるかもしれません。
裸になってお風呂に入って、下着をつけて、パジャマなどを着る、朝も寝具を脱いで出社のための服を着る、職場でも着替えるでしょうし、帰宅したときも部屋着に着替える、そういう作業を多くの人がします。
そういった生々しいほどの「当たり前」をあえて描くことで、登場人物たちが生活している・生きているという「実感」を読者に植え付ける意味で、意味があるのではないかということです。
スキロー:徹底的に抑制された性的視点と現代の空気感
次に『スキップとローファー』に目を向けてみましょう。
事例
具体的なお色気場面を挙げてみましょう。
と言いたいところですけど、まず見られないのですよね。
高校2年の夏休みに、仲良しグループの皆と石川県にあるみつみの実家にお泊りの旅行に行きました。
そこで海に行き、皆で水着になったところ、くらいでしょうか。
水着回はScene52「ドキドキの海<2>」のこと、単行本では9巻ですね。
水着回においても、女性陣は全員水着になりましたが、身体のラインを強調するようなものではありません。
そして彼女たちの水着姿を眼の前にした男性陣、陣といっても志摩くんと「向井司」の2人ですけど、彼らは頬を少し赤らめ、その背後に擬音として「わあ」という文字が入っているだけ。
次のコマからは何事もなかったかのように接しています。
無論、その間、彼らは女性陣の色々を見ているでしょうし、色々と想っているでしょう。
しかしそういった性的なことは一言たりとも書かれていません。
球技大会ですか、1年次2年次ともに描かれていますが、こちらもお色気要素は皆無と言っていいほどです。
女性陣は上はTシャツですけど、身体のラインを強調するようなものはなく、下はブルマではなくジャージですから、脚が強調されることもありません。
石川での旅行でも、2年次の修学旅行でも、エッチなことが起こることもなく。
みつみと志摩くんが二人きりになったとしても、カフェデートをしたくらいです。
令和の文脈として
あくまでもスキローに限定してのことではありますが、令和の漫画が受けている時代的な影響が見えてくるように思います。
恋愛感情は、『めぞん一刻』など比べると肉体的な接触やつながりというより、精神的なものにシフトしている感を強く覚えます。
そのために性的な描写、あるいは異性への性的な視点というものが皆無に等しいです。
作者と編集者の読者への見せ方としても、登場人物の性的な描写を意図的に避けて描いている感覚を持ちます。
登場人物たちの中でも、明確なマドンナ的な存在を置かずに、極力全員が並列になるよう、登場人物の中でも並列に見るよう描かれているのが、令和の漫画の視点なのかもしれません。
あたしなんて好きな人いたことないよ!
Scene56「くたくたの帰路」10巻58ページ)より
外見上最も優れた女性は「村重結月」という認識を私は持っています。おそらく他の多くの読者もそうでしょうし、作者もそのように描いていると思います。
作中でも、彼女が男性に声を掛けられる場面は文化祭シーンなどで確認できるのですけど、彼女自身が男性に対して「がっつく」描写はなく、むしろ引用部のように恋愛について興味が湧いていないかのようなセリフまで言っています。言わせている、と言いますか。
志摩くんにしてもそれはそうで、彼自身が自分のことを好きな人がいること、モテることを否定はしませんけど、それをひけらかすようなことも言わないですし、女友だちもフラットに見ている傾向が強いです。
過去の皆の求める「志摩聡介」であることを止めてからの方がより、みつみを特別視する傾向は強まっているものの、では他の女子を蔑ろにしているかというと、否ですね。フラット。
リアルの違い
昭和のお色気表現がどうして令和になって無くなったのか。あるいは少なくなったのか。
ここには「リアル」さの定義そのものが変わった可能性が、原因としてあるように感じられます。
と言いますのも、このお色気表現の減少は漫画だけの話ではなく、アニメやテレビドラマ、テレビ番組、映画などでもその傾向が強く出ているように私には思えるからです。
恋愛を含めた人間関係に対する価値観が変わった、とまで言っていいのかもしれません。
読者が漫画に求めるものが「刺激」から、「安心感」や「キャラクターへの共感」に変化している、ということを見て取れます。それは今回取り上げている2作品だけを見ていても明らかです。
意図的な抑制
お色気だけでなく、感情的なケンカなど刺激的な表現そのものが、令和の漫画作品は昭和よりずいぶんと減った印象を持ちます。
感情的なぶつかり合いがスキローもないとは言いません。
例えば、Scene30「バクバクのバレンタイン<1>」(9巻)で「江頭ミカ」が、同じ英会話部の「小渕」くんからバレンタインデーにチョコをくれないかと言われたことを、放課後の教室で、電話で友だちに茶化すように話していたところ、向井に聞かれてしまいます。
向井は小渕くんと仲がいいこともあり、黙っていられずに電話を終えた彼女に口を出しました。
そのときの2人のぶつかり合いは、今読んでもハラハラドキドキします。
なのでスキローに刺激がないとは言いませんけど、やはりめぞん一刻と比べると回数は少ないですし、感情の起伏は緩やか、あるいは激しい盛り上がりあったとしても関係修復が早いです。
スキローでは登場人物に明確な「敵役」がいません。
先ほどのミカにしても、自身が小学生の頃に太っていたことといじめられていたことで、彼女の中でも下位カーストを受け入れている自分がいて、自分なんかが恋愛をしていいのかとさえ考えています。
そのためバレンタインでチョコが欲しいと小渕くんに言われたことはとても嬉しかったのですが、素直になれずに茶化すようにネタとして話してしまったのですね。それを向井に聞かれてしまったと。
普段はとてもいい子ですし、スキローの中でも最も読者に近い感覚を持った登場人物の一人ですから、より感情移入しやすい、親しみやすいキャラです。
ぶつかり合うにしても、ミカのように、各キャラクターが自身のコンプレックスを向き合う上でのことで、人物の内面の葛藤がメインに描かれている傾向が強いです。
ミカとぶつかり合った向井も、後々事情を知るや彼女に申し訳なく思い、決定的な亀裂には発展しませんでした。
亀裂どころか、この2人は付き合うのでは、というくらいにお互いをよりよく理解する間柄にもなっています。
めぞん一刻では、響子さんというヒロインが物語の中心にあり、彼女を好きな五代くんや三鷹が彼女を自分に振り向かせるために、ライバルを蹴落とすべく毎回のように火花を散らし、あれやこれやと争っています。
そのためには職業の違いや家柄、住んでいる場所(高級マンションと下宿屋)の違い、端的に「貧富の差」を持ち出すこともままありますし、何なら殴り合いも辞さないです(単行本14巻)。
めぞんでは女性キャラも同様で、五代を他人に渡さないため、あるいは彼を振り向かせるために、とりわけ響子さんと女子高生の「八神いぶき」は同レベルで激しく戦いました(単行本11巻)。
響子さんと「七尾こずえ」、こずえちゃんと八神もライバルではありますけど、響子vs.八神のような露骨な争いはみられませんでした。実際のところバチバチですけどね。
要するに「欲望」が剥き出しなのですね。
しかしこのことは悪いことばかりではないと個人的には思っています。より本能的なところで感情が揺さぶられますからね、やはり。
この違いは良し悪しではなく、昭和と令和では根本的なところで「価値観の異なるもの」に私には見えます。
自己肯定感と共感と癒やし
また、令和の漫画では、ありのままでいいのだ、という「自己肯定感」がより重視されているようです。
読者は、恋愛だけでなく、友人関係、進路、外見へのコンプレックス、それらに悩み苦しむキャラクターに自らを重ねるように、共感する。
先ほど触れましたように、明確な悪役がいないこともあり、読者が読んでいて嫌な気持ちにならないような、ホッとするような作品が多くなっています。
これは現代の読者は漫画に対して、派手で劇的なストーリーテリングより、大変なことも多い現実からの退避・癒やしを求めている、ということなのかもしれません。
そしてそれこそが現代のリアルなのでしょう。
先ほど書きましたように、現代の考え方や価値観が正しい、昭和の考え方や価値観が間違っていた、ということではないと私は考えます。
昭和の読者は漫画に刺激をより強く求める傾向にあった、ということではあるかもしれません。
と同時に、そういう癒やしの物語が多くなっている現状は、漫画を描く上での「コンプライアンス」や「ハラスメント」への配慮が大きく作用していることを示しているようにも思います。
インターネットの普及、それに伴いSNSの影響力の増大によって、世間の監視がより広範囲に及び、また強まっていることが原因の一つにはなっていそうです。
まとめ
まとめます。
昭和の『めぞん一刻』では、人間の欲望がより強く、ストレートに描かれることでリアルさを演出してきた。
令和の『スキップとローファー』では、欲望を意識的にセーブされ、理性が強めに出ており、登場人物同士お互いにリスペクトする、学校や会社での人間関係により近いリアルさがある。
昭和では当たり前にあった色気シーンが令和で見られなくなった理由には、読者の漫画に求めるところが変わったこと。明確な敵役が存在しなくなったことを含め、登場人物同士がリスペクトし合う、フェアな関係性、そこから生じる「安心感」を、現代の読者は求めているからかもしれない。
作者や編集、出版社側のブレーキがありそうだし、そのベースにはネット社会における監視の目もありそう。
というのが、私なりの解釈と感想でした。
本文に書いたことは私なりの意見や解釈でしかありません。絶対的に正しいことを言っているつもりはありませんので、情報を鵜呑みになさらず、参考程度に抑えて受け取ってくださると幸いです。
ということで、今回はここまでになります。
最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます。
既に記事にしています、めぞん一刻の深堀り記事をもう少し増やしたいと思っています。今後は少しスキローとの比較からは離れますのでお了承なさってください。お楽しみに!
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例えばめぞん一刻で言えば、今回取り上げました管理人さんのお色気多めな1巻です。と言いますか物語を通して、そういう描写は見られます。
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