『めぞん一刻』と『ひらやすみ』から読み解く「頑張り方」の変遷

ひらやすみ
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1980年代を象徴する漫画『めぞん一刻』において、ヒロインの響子さんが放ったある言葉は、主人公の五代くんや当時の読者にとって甘美な、そして逃れられない「愛の言葉」でした。

「五代さん、がんばってくださいね」

それから40年ほどの年月が経った令和の今、話題作『ひらやすみ』の中で主人公「ヒロト」が、仕事のプレッシャーで壊れかけている親友「ヒデキ」に向けて放った言葉は、昭和の常識とは真逆のものでした。

「ヒデキ! もういいって。頑張んなくていいんだよ!」

この二つの言葉は、どちらも相手の幸せを願う、純粋な「愛」から生まれています。 しかし、その方向性は対照的です。
なぜ、私たちの「愛の形」は、ここまで劇的に変化したのでしょうか。
今回は響子さんとヒロト、二人の言葉の重みを比較しながら、私たちが歩んできた「頑張り方」の変遷について考察していきます。

ネタバレは緩いバレ要素はありますので、バレても大丈夫な方のみ下方スクロールをお願いいたします。

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『めぞん一刻』の「がんばって」

作品名めぞん一刻
作者高橋留美子
単行本1巻と最終巻発行日1982年5月1日、1987年7月1日
ジャンル青年、恋愛、ラブコメ
発行社小学館
レーベルビッグコミックス
巻数全15巻(単行本)

『めぞん一刻』は高橋留美子さんによる、昭和の時代、1980年代に描かれた名作との呼び声高いラブコメ作品です。

本作において、ヒロイン「音無響子」がしばしば主に主人公の「五代裕作」に対して発せられる言葉に「がんばってくださいね」があります。

  • 第1期(1〜2巻)入試編: ★★★★★(6回)
  • 第2期(3〜8巻)大学生活編: ★★★★★★★★★(9回)
  • 第3期(9〜10巻)就職・停滞編: ★★★★★★(6回)
  • 第4期(11〜14巻)保父試験・修羅場編: ★★★★★★★★★★★★★★★★★(17回)
  • 第5期(15巻)完結編: ★(1回|三鷹より)

上記リストは、『めぞん一刻』を第1期から第5期に分けて、それぞれの期間における「がんばれ」のセリフやモノローグの出現回数をまとめたものです。

第1期の浪人生時代には入試のプレッシャーとして回数が多く、大学時代のモラトリアム期には頑張る必要がないので激減し、そして第3~4期の就活・保父試験での再び激増しています。
このデータは、響子にとって「がんばってくださいね」は、五代くんを一刻館につなぎ止めるための「期待」の表れであり、五代くんにとっては響子さんと結ばれる資格を得るための「試練」だった、と受け取れるものです。

詳しい内容は下にリンクを貼った記事に書いています。あわせてご覧になってください。

「がんばってください」に見る昭和の愛と呪縛:『めぞん一刻』徹底考察
『めぞん一刻』全15巻を徹底調査!響子さんの「がんばってください」の回数を集計すると、昭和の恋愛が抱えていた「条件付きの愛」が見えてきた。24時間戦うことが美徳だった時代、五代裕作を追い詰めた言葉の重圧と、最終巻でライバル三鷹瞬が見せた「ノーサイドの激励」を深掘りします。

昭和:就職=正社員は当たり前

作品が連載されていた昭和後期から末期の日本において、男性には「一家を養う経済力」と「社会的な身分」が現代以上に求められていた体感があります。

五代くんは、一浪をした後大学に入学し、就職活動に失敗してフリーターになり、保父(保育士)のアルバイトを見つけたものの人員整理が理由でクビになり、友人の紹介からキャバレーで働くことになり、働きながら夜学などで保父の勉強をし、資格試験に合格し、保父としての正規の職を得ました。

「フリーターでは結婚はできない」

五代くんもそのように考えていたから、正社員として就職を得てから結婚を申し込んだのでしょう。

母「いーじゃない、やさしそーなひとよ。ちょっと頼りないけど…」
父「頼りないっ? 気にくわんっ!」
響「なによ、ちゃんと就職だってしてるし…」
父「そんなこた あたり前だ!」

15巻「PART♥6 許さん」116ページより

引用部は物語の最終盤、響子さんの実家で、両親と五代くんとの結婚の話になったときの会話です。
「そんなこた あたり前だ!」は、五代くんが保父試験に受かり、ようやく正規の職を得たという、物語最大のカタルシスを真っ向から否定するような一言になっています。しかし、これが当時のリアルな空気感でした。
当時の男性が社会から求められていたハードルの高さが、すべて詰まっているやり取りと言えるでしょう。

当時は就職して「定職(正社員)」に就くことは、特別なことではなく、社会に参加するための「最低限の入場券」に過ぎませんでした。
響子父の「気にくわん!」の裏には、「娘を一生食わせていけるのか?」「男として一家の大黒柱になれるのか?」という、昭和的な父権の厳しさがあります。

五代くんが響子さんを巡って戦っていた相手が「三鷹瞬」という個人だけでなく、響子さんの父だけでもなく、「社会の常識」という巨大な壁であった、と言うこともできそうです。

『めぞん一刻』五代裕作:フリーターから保父へ、就職失敗と天職への回り道
『めぞん一刻』五代裕作のバイト生活と就職失敗、フリーターを経て保父という天職に巡り会うまでの幸運な回り道を分析。彼の人生の偶然と必然を考察します。

『ひらやすみ』が鳴らす『頑張りすぎ』への警鐘

作品名ひらやすみ
作者真造圭伍
単行本1巻初版発行日2021年9月15日
ジャンル日常系、恋愛、ヒューマンドラマ
発行社小学館
レーベルビッグコミックス
巻数既刊9巻(2026年1月時点)

『ひらやすみ』は真造圭伍さんによる日常系漫画で、2025年にはNHKでドラマ化され、アニメ化も決定している話題作です。

『めぞん一刻』の五代くんが「何者かになるため」にずっと戦っていたのに対し、『ひらやすみ』の主人公「生田ヒロト」は「何者でもない自分」を肯定して生きている男です。

ヒデキの孤独:キャリアと家族を背負った「鎖」

1989年(平成元年)頃に大きな話題となったワードがあります。
栄養ドリンク『リゲイン』のキャッチコピー「24時間戦えますか(24時間、戦エマスカ。)」です。

テレビCMに俳優の「時任三郎さん」が出演していました。
このフレーズは流行語にもなり、当時は働く日本人の象徴でした。
テーマソング「勇気のしるし」もヒットしました。

現代では「ブラック企業」という言葉が定着していることからわかるように、社会や企業が労働者に24時間戦うことを求める風潮を良しとしない機運が高まっています。
その一方で、昭和のビジネスマンは、会社を退勤した後は物理的に仕事から解放される時間がありましたが、現代は違います。スマホというデバイスのために、私たちは24時間、絶え間なく社会や労働とつながれ続けています。

ヒロトの親友「野口ヒデキ」は、ある意味で「五代裕作」なのかもしれません。
上司や妻から、社会から、認められようと必死にあがいている意味で。

ヒデキは山形県が地元で、ヒロトの高校時代からの親友。現在は高円寺在住で家具店「R-Furniture」に勤務しています。ヒロトが店を訪れた際に「お前みたいな貧乏人が来ていい場所じゃねーんだよ」(5巻32ページ)と言っていることから、高級家具を扱っているのでしょう。

ヒデキは普段からよく嘘をつくのですが、仕事でもそれをしてしまっているようで、客からの「付いていない機能が付いていた」などクレームが入っており(5巻14ページ)、年下の上司「鬼龍院」から叱られていました。さらには鬼龍院から「野口ステイ」と名づけられた「いじめ」行為も受けており、メンタルがギリギリの状態に陥っています。
彼は結婚をしていて家族がいますし、子が生まれたばかりなこともあり、自分の都合だけで仕事を辞められないと思っていたのでしょう、家族はいても孤独で、職場にも家庭にもプレッシャーがあり、彼の逃げ場がなくなっていました。
(36日目「青春と田んぼ」、37日目「肉まんはあの頃の味」、42日目「またね、青春」より)

ヒデキのことは、「24時間戦えますか」の長時間労働を美化するような風潮とは厳密には異なります。しかし、現代にも「ブラック企業」や「社内ニート」などの労働問題は少なからずあり、彼の悲劇はまさに現代の労働問題を象徴するエピソードの一つと言えるでしょう。

『ひらやすみ』ヒデキはパワハラを受けた?仕事はどうなった?
漫画『ひらやすみ』の主人公「生田ヒロト」の、学生時代からの親友「野口ヒデキ」が会社でパワハラを受け、メンタルをやられ、そしてどうなったか。 あまり読みたくないくらい読んでいてへこむ内容だったのですが、何だか他人事ではない感じがしたので、シェアします。

ヒロトの「強引な救済」:スマホ水没

42日目「またね、青春」にて、追い詰められたヒデキは、仕事帰りにふとヒロトのアルバイト先の釣り堀に立ち寄ります。
元気なくヒロトと話をしながら釣りをしていると、鬼龍院から電話が。

ヒロトは電話を取らないヒデキの様子がただ事ではないことを察知します。油汗でしょう、(桜が咲いている描写が同エピソードにあるので)3月末から4月初旬、まだ寒さが残る春の季節なのに汗をかき、震えています。
ヒロトは彼の手からスマホを奪い、眼の前の生簀いけすに投げ込むのです。

そんな彼の胸ぐらをつかんで「拾えよ おい!!」などと言うヒデキに、彼はこう言います。

ヒロトがヒデキのスマホを釣り堀に投げた場面です。
42日目「またね、青春」5巻131ページより

ヒデキ! もういいって。頑張んなくていいんだよ!

42日目「またね、青春」5巻131ページより

先ほども触れたように、『めぞん一刻』の描かれた昭和には存在せず、『ひらやすみ』の現代において、私たちを最も追い詰めているもの。それは「スマートフォン」かもしれません。

「24時間戦えますか」という言葉は、精神論やスローガンに近いものでした。
会社を出れば、あるいは自宅や自室に戻れば、物理的に仕事の連絡を遮断することが可能だったからです。
しかし、ヒデキが生きる現代は違います。
仕事終えた後でも休日でも、上司からの連絡がスマホを通じて追いかけてきます。逃げ場がありません。

妻「サキ」も連絡をしてくるはずです。本来安らぎであるはずの妻からの言葉も、心の凹んでしまっているヒデキの心を直撃していたことでしょう。家庭を守る夫として父としてのプレッシャーがかかるからです。

がんばれオレ。
がんばれオレ。
(中略)
みんなスマホ見てる。オレもみなきゃ…
(鬼龍院からの電話があり)電話出なきゃ… でも、出るのがこわい…

42日目「またね、青春」5巻117~121ページより

仕事を辞めたい、逃げたい、死にたいとは言えませんから。
自分を必死で励ましても、現実として日常はやって来ます。悪意のある上司からの連絡はきますし、悪意のない妻から連絡もきていることでしょう。

現代の「がんばれ」は、スマホを通じて24時間休むことなく送り続けられる「指令」へと変質してしまいました。
ヒロトはスマホを水没させることで、そんなヒデキを縛りつけていた全ての「社会的役割」との接続を物理的に断ち切ったのです。

「頑張んなくていい」という非常ブレーキ

そして「頑張んなくていい」のセリフにつながります。
ヒロトのこの言葉は、五代くんに送られていた響子さんのエールとは真逆の性質を持ちます。

  • 響子のエール: 階段を上らせるための「エンジン」。
  • ヒロトの言葉: 暴走する車を止めるための「非常ブレーキ」。

「キャリア」も「家族」も、彼にとっては守るべき大切なものです。
だけれど、そのために「自分」を消して、嘘をつき、心を壊してまで戦う姿は、ヒロトの目にはあまりに不自然で痛々しく映ったのでしょう。

ヒロトの採った行動は「やってはいけないこと」かもしれません。であると同時にヒデキにとっては「誰かにして欲しかったこと」でもあったはずです。
現にその翌日、ヒデキは会社を辞めます。そして家族と山形の実家に帰り、実家の材木屋を継ぐ決心をしました(9巻80,81日目「さらばヒデキ 前後編」)。

どうしてヒロトはそこまでしたのか?

どうしてヒロトはスマホを投げ捨ててまでヒデキを救おうとしたのでしょうか。

なつみ「ヒロ兄 なんで、あんなクズと仲良いの?」
ヒロト「なんでだろーー」「本音言えるからかなーー 逆にあんなクズだと」

12日目「サマーフィルムにのっかっちゃって」2巻84ページより

すぐに嘘をつきますし、引用部のようにクズとさえ思っている人に。
なつみとは「小林なつみ」のことで、美大に通うために山形から上京して、ヒロトの平屋に居候している従姉妹です。

嘘つきでもクズでも救おうとした理由、それはヒロトが彼に救われたことがあるからです。

ヒロトは元々俳優をしていました。しかし競争すること、勝ち負けの世界が嫌で廃業し、現在に至るフリーター生活をしています。
俳優を辞めるとヒデキに伝えたとき、ヒロトは「…がっかりしたか?」と彼に聞くと、彼は次のように答えました。

フッ… ンなわけあるかっつーの。
オレはお前が俳優とか関係なく大事でさ、いつでも気楽に会えりゃそれでいい。

36日目「青春と田んぼ」5巻24ページより

そう言って、その後、コンビニで肉まんをおごってくれたことがありました。
彼の言葉にヒロトは「すごく救われた」そうで(37日目「肉まんはあの頃の味」34ページより)、それもあって助けています。

ヒデキはそのときの自らの発言を覚えていないようでした(37日目「肉まんはあの頃の味」32~33ページ)。
咄嗟に出た嘘・デマカセだったのかもしれません。
デマカセであったとしても、あのときのヒロトにとっては救いになる言葉だったのです。

比較考察:二つの言葉が教えてくれること

『めぞん一刻』の響子と『ひらやすみ』のヒロト。二人が示した「愛」は正反対にも見えるほど違いがあります。しかし、どちらが優れているか、という見方には意味がないでしょう。

「上昇」の愛と「自衛」の愛

昭和と令和、それぞれの時代における「頑張り」の性質を比較してみました。

比較項目『めぞん一刻』(昭和)『ひらやすみ』(令和)
応援の質上昇(階段を上れ)自衛(自分を守ろう)
責任の捉え方未来をつかむための「翼」今を耐えるための「鎖」
社会の捉え方努力で適応し、認められるべき場所自分を守るために、程よく距離を置く場所
最終的な救い社会的承認(就職・結婚というゴール)個人的回復(心身の健康・日常の継続)

昭和の五代くんにとって、「頑張る」ことは好きな人と明るい家庭を築くための「推進力」でした。一方、令和のヒデキにとって、「頑張る」ことはきつい労働環境にあっても社会から沈まないための「足掻き」になっていました。

キャバレーの上司からヒロトへ繋がる「静かな警鐘」

忘れていけないことが一点あります。

興味深いのは、昭和の終わり、バブル時代へと向かう日本で、既ににその「限界」を予見していた人物がいたことです。『めぞん一刻』の単行本14巻に登場する、キャバレーでの五代くんの上司の男性です。

なんか あいつ見てると、無理にあがいてるみたいでさ(略)やさしくして、やんなよね

14巻「PART♥3 戸惑いロマンス」59ページ

引用部のセリフは、当時の「がんばれ」に対する読者や日本社会への、高橋留美子先生からの隠れたメッセージだったのかもしれません。
メッセージの意味は「頑張ることは尊い。だが頑張りすぎて自分を見失うことは危険だ」という警鐘です。
高橋留美子先生の警鐘から30数年の時を経て、ヒロトという「マイペースな主人公」が生まれたのは感慨深いことです。

「がんばれ」と「頑張んばんなくていい」の使い分け

現代において、響子さんの「がんばれ」が絶対的な悪かというと、それもまた違うのではないか、ということは言いたいです。
私たちは「両方の言葉を、適切なタイミングで」必要としています。

何かを成し遂げたいときや背中を押してもらいたいときには、響子さんの「がんばってくださいね」は、現代でも最高のガソリンになるでしょう。
心身を削ってまで「責任」という鎖に縛られ動けなくなったときには、ヒロトの「頑張んなんくていい」と言ってくれるブレーキを踏んでくれる言葉に救われることがあるはずです。

まとめ

まとめます。

「24時間戦えますか」と社会から煽られていた時代に、社会的に不利な立場から資格を勝ち取り正社員となって一途に思い続けていた女性を射止めた『めぞん一刻』の五代くんの努力を称えたいです。それと同時に、『ひらやすみ』のヒデキのスマホを池に沈めてくれるヒロトの存在にも心から救われました。

時代によって「がんばれ」の意味は変わっていると言えるかもしれません。変わっていたとしても大切なのは、その言葉が相手を「活かしているか」それとも「追い込んでいるか」を見極める、人々の想像力や配慮であることは、変わっていないと思います。

本文に書いたことは私の個人的な意見や解釈でしかありません。決して情報を鵜呑みになさらず、参考程度に抑えて受け取ってくださると幸いです。

ということで、今回はここまでになります。
最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます。

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